『夫妻到着』



 俺は由美子さんに襲いかかった。

 と言うのは嘘で、「うわ、くすぐったいよ」と言いながら俺は由美子さんとベッドから離れた。これ以上触られていると英国紳士の――そう、「あいつイギリス人ちゃうけど、もう英国紳士でええんちゃうか」とまで評された俺の理性が崩壊しそうだったからだ。
「何だぁ……くすぐったかった?
 うーん、もっと気持ちよくしてあげる自信あったのにな」
 由美子さんは残念そうに言った。
 そんな、理性を異空間に飛ばしてしまうようなセリフを言わないで欲しいぞ。心の中で俺は悶えた。天秤宮まで飛ばされてしまいそうなので、気分を変えるために談話室へ降りることにした。
 先に立って部屋を出ようとしたとき、もっとゆっくりしても……という声がしたような気がした。振り返ると由美子さんは「じゃあ降りようか」と微笑んだ。何だ、気のせいだったのか、と思い談話室へと向かった。

 談話室にはL字型にソファが置かれ、その前には大きなテーブルが置いてある。側のラックに新聞や雑誌も在った。大きなテレビもあり、その下の棚にはコンシューマゲーム機であるプレステまで備え付けてある。何て至れり尽くせりなのだろう。
「でも、こんなトコに来て、テレビゲームなんてするのかな」
「テーブルゲームみたいなもの、大勢で盛り上がれるゲームもあるし、使うときはあるんじゃないか」
「そうかも。さすが柏木クン」
 ま、カップルには不要なものだろうけど、とも俺は思った。ふとある疑問を思いついたので訊ねてみたら、案の定由美子さんはゲームというものには縁がないらしい。ほとんどやったことがないということだ。

 ソファに座って話していると、奥から小林さんが出てきた。
「お帰りなさい。スキーはどうでしたか」
 温和そうな笑顔で話しかけてくる。このペンションが繁盛しているのも、この主の人柄に因るところも大きいのだろうな、と思う。昨日も色々話したけど、すごく居心地が良いのだ。このペンションは良いよ、と人に薦めたくなる。
 ペンションに泊まるのは難しい。場所によっては宿泊者同士の自己紹介を強制されたり、延々と話をさせられたり、束縛され息の詰まるところもあるのだ。このシュプールのように宿泊者に踏み込みすぎず、それでいて心地の良いちょっとした干渉を行うペンションは稀有な例かもしれない。

 俺がスキー初心者で大変だったとか、雪質が良いですよねなど、和やかに話しているとふとゲーム機の話になった。
「ああ、それは」小林さんは言う。「実はうちのものではないんですよね」
「え?」
「誰かが持ってきて、そして置いて帰ってしまったんですよ」
 こんなところにゲーム機を持ってくるなんて物好きな。持ち歩くとなるとけっこう重いしかさばると思うのだが。
「忘れ物のご連絡はされたんですよね?」由美子さんが問う。
「ええ、もちろん。でもねぇ」小林さんが顔を曇らせる。「どうも、電話番号も住所もでたらめだったみたいで」
「ありゃ」
 それではどうにもならないだろう。
 しかし何故住所詐称なんてことを?
「というわけで、とりあえず保管しておいたんですけど、結構前の話になりますからねぇ。もういいかってことでここに置いて、ご希望の方がもしいらっしゃれば貸し出すようにしてるんですよ」
 なるほど。
 そう言えば最近のラブホテル(ブティックホテルとも言う)にはカラオケの他、サウナやパチンコ台、ゲーム機などが置いてあるところもあるという。ペンションにそういうものがあってもおかしくはない。
「……柏木クン、よく知ってるね」
「え、あ、いや」
 俺は迷った。勿論俺はそういう場所には行ったことがないのでその辺は情報誌やらで仕入れた知識なのだが、真実を話すとあなどられるような気もする、かと言って度々訪問しちゃってますというような態度をとるのも遊んでる風でイヤな印象を与えかねない。どちらの行動の方が由美子さんに好印象を与えられるだろうか。俺は迷いに迷った。
「どっちがいいと思います?」
「知らんがな」
 小林さんは何故か関西弁で突っ込んできた。なんて相談しがいのない人だろうか。年配者の知恵に期待した俺がバカだった。
 由美子さんのほうを見ると、アハハと笑っていた。何故かウケたらしい。うやむやになって良かった。
「まぁ、そういうわけなので、どうだい柏木君たちも。プレステもってってもいいよ」
「はい、えーと」
「やってみよっか。面白いかもしれないし」
「由美子さんがそういうなら」
「わーい、楽しみ」
 彼女は手を胸の前で合わせ、ニッコリと笑った。
 ペンションに来てまでプレステかぁ……。
 と。
 沈みかけてふと思った。
 いや、これは、もしかしてチャンス?
 プレステはもちろん部屋に持ち帰ってからやるわけで。二人でプレイするんだから勿論同じ部屋にいることになるわけで。二人でベッドに並んで座ったり、寝転がってプレステしたりするわけで。さっきせっかく二人っきりになったのに、自分からその幸運を放棄するような行動をとってしまい後悔していたところだ。まさに僥倖。
「うお、ラッキー!」
「え、何か面白そうなソフトあったの?」
 思わず声を出してしまった俺は、いやなんでもないのです、と慌てて言いながらぽりぽりと頭をかいた。
 これは。
 これはもう!
 ……いいかもしんない。
「ありがとうございます小林さん」
 小林さんは訝しげな表情を浮かべたが、すぐに笑顔になり「夕食のご用意が出来るまでまだ時間がありますので、お部屋の方へ接続に行かれてもいいですよ。整い次第お呼び致しますので」と提案してくれた。俺の心の動きを察知してくれたのだろうか。
「そうしよっか。柏木クン、出来る?」
「勿論。差し込むだけだからね」
 ドンと胸を叩く。
「それじゃ。あ、夕食楽しみにしてますね」
 そう言い残すと、俺と由美子さんはプレステを持って二階へと上がることにした。接続するのは……テレビのある俺の部屋になる(全部屋にテレビがついてるわけではないらしい)。

 と、その時。

 カランコロンと玄関のベルが鳴り、2人組の男が入ってきた(演歌系の音楽は流れてこなかった)。
「他のお客さんかな」
「そう言えば、他の人ってまだ見てないね」由美子さんが答えた。
 それは若い男の二人組。
 若い、と言っても俺や由美子さんよりは年上の社会人であろう。何となく落ち着いた雰囲気があった。
 小林さんが笑顔で出迎えた。
「ようこそいらっしゃいました」
 その言葉をうけ、少し躊躇した素振りの後、男の一人が口を開く。
「えっと、すみません。予約してないのですけど、部屋……空いてますか」
 少し緊張したような声。予約してないとは珍しい、と思った。外を見ると、結構吹雪いている。もしかして、帰れなくなったので泊まることにしたのだろうか。
「ええ、ツインの一部屋ご用意出来ますよ」
 小林さんは微笑みを絶やさず答えた。
 すると、困ったような口調で男が言う。
「えっと、ツイン……二部屋は無理ですか?
 実はあと二人いるんです」
 さすがに小林さんは困った顔になってしまった。そう言えば、残っているのはあと一部屋だったような。
 困った感じの会話が続いた。どうも、この吹雪で帰れず泊まることにしたのだが、今までに行ったどこも部屋が空いてなかったそうだ。ガイドブックも持っていないので電話はかけられず、のろのろと車で探し回っていたらしい。

「困ってるね〜」
 由美子さんはその会話を聞いて、俺に話しかけてきた。
 何となく二人で談話室に佇みながら会話を聞いてしまっていたのだ。
「でも、まぁ4人なら一部屋に入れるんじゃないかな」
 と言っていたら、「男2人に女2人なんです」という声が聞こえた。あら……しかし、これ幸いと小躍りしないところが、この男2人は真面目なタイプなのかな、と感じさせる。
「それじゃ無理かな」
 仕方がない、ここから色々電話して、空いてるとこを探すしかないだろうと思い、そう言うと、由美子さんがとんでもないことを言ってきた。
「私と柏木クンが一つの部屋になれば良いんじゃない? 一部屋空くよ」
 意表を突く提案だった。
「ちょ、ちょっと、マジ?」
「だって、可哀想だと思わない。一晩だけだし、私は、」
 と少し口を閉じ、そして開く。
「平気だけど」
 由美子さんの頬が少し赤らんでいる……ように思えるのは俺だけだろうか。泰然自若としているようにも思えるのだが、そう考えるのは何となくイヤだ。一夜を男と同室で過ごすことを平然と提案されるのは男としてとても悲しいことだと思う。
「そりゃ、俺は構わないけど……でも」
 言った途端、由美子さんは立ち上がって小林さんたちへ声をかけた。
「小林さん、私たちが一部屋に入りましょうか?」
 す、素早い。
 泊まれそうにない、という雰囲気で話し合いが決着しそうな時だっただけに、その声は男たちに生気を甦らせた。
「良いのかい、小出さん」
 小林オーナーの問いに、「柏木クンは良いよって言ってますから」と応える由美子さん。ちょっと……良いのかいな、と思った俺も立ち上がる。オーナーも由美子さんの方に「男と一緒の部屋になっても良いのかどうか」を訊きたいのだと思うぞ。
 しかしこれで俺としては願ってもない状態になる。由美子さんと同じ部屋で一夜を過ごせるのだから、この上ない申し出だ。
 しかし良いのだろうか?
 うーむ。
 ……。
 ま、良いか。絶好のチャンスだ。こうなったらもう。
 と決意していたその時、再び玄関がベルの音と共に開いて、2人の女性が入ってきた。
 2人を、特にそのうち一方を見て、俺は心臓を破裂させた。それは何と。

「楠瀬さん、どうでしたか……って、こ、耕一!?」

 梓だった。
 それは梓だった。
 何故こんなところに梓が。
 いや、ホントに梓か?
 似ているだけの梓星人だとか(梓らしき者、梓と思われる者、梓であると疑われる者が沢山いる星があってもおかしくはない)、実は千鶴さんが人のクローンを作る研究を成功させていたとか(食べることでアメーバの如く分裂するような料理を作ることは彼女にとっては不可能ではないだろう)、千鶴さんのゲンコツで梓が分裂したとか(彼女の鬼の手なら何でも出来そうな気がする)、そう言うものではないのか。
 思考を停止させていると、後ろから由美子さんと小林さんが異口同音に声をかけてきた。
『柏木君、知り合いかい(なの)?』
 酸欠状態の金魚よろしく口をパクパクさせていた俺だったが、従姉妹です、と何とか声を出した。
 状況を聞きながら、梓はジト目で俺を凝視している。
 うぅ、何となく視線が痛い。
 うおー、そんな目で見ないでくれぇ。
(耕一、年末年始にうちに来るのを遅らせて何をしているのかと思ったら、女性と2人きりで旅行とは。みんなに言っちゃうからな)
 無言の声が頭の中に響いた。これがテレパシーと言うやつか。
「そう言うことなら、あたしと耕一が一緒の部屋になれば良いんじゃないですか」
 状況を知った梓の口からその言葉が出てくるのに、そう時間は要さなかった。俺と梓が親戚同士であり気の置けない仲なのだという微妙な事実も合わせて皆に説明されていく。
 そんな、このままでは俺と由美子さんの甘い夜が……ガラガラと音を立てて崩れていってしまう。
「小出さんも、見知らぬ人と一緒の部屋は気疲れするかもしれませんけど、男と一緒より良いのでは」
 ハッキリ言う。
 何なんだ、俺と由美子さんが恋人未満的な甘い関係だったらどうするんだ、人の恋路を邪魔するヤツになってしまうぞ、と考えていたのに、由美子さんはやけにあっさりと「そうですね」と応えた。……ひどい。
 一人だけ「そんなのダメです! あっちはあっちでほっとけば良いじゃないですか先輩!」と反対したのは、かおりちゃんだった。そう、女性陣の内のもう一人は、言わずと知れた日吉かおりちゃんだったのだ。梓の行くところかおりちゃんあり、か。
 かおりちゃんの猛反対にも関わらず、結局俺の部屋に梓、由美子さんの所にかおりちゃんが来ることになった。
 ああ、何てこった。
 先ほどまでは既定の未来とも言えた由美子さんとの二人きりの夜だったのに。それに――それだけでなく、これから後のことが本当に怖くなってきた。梓に何と言われるのやら……いや、由美子さんにだって。
 何もなく終わるってことはないだろう。
 頭をかかえながら、俺は梓と共に荷物を部屋に運んだのであった。