|
1994年のオフ、広島東洋カープに激震が走りました。 左腕エースとして活躍していた川口和久投手がFA宣言をしてしまったのです。確かに川口は91年の優勝の後は負け星先行。94年も7勝10敗で防御率も悪かったです。9月の巨人との首位決戦で1、2戦目を圧勝したにも関わらず3戦目で川口が負けてしまい優勝が遠のいてしまったこともありました。印象は良くなかったです。 しかし、川口和久といえば広島の看板投手。 女性ファンも多く、おさまりのわるい後ろ髪をなびかせるそのダンディさは今でいうなら古畑任三郎に匹敵しました(古っ)。 その川口がいなくなってしまったのです。 左腕エースが。 しかしその年のドラフトで、一人の左腕が獲得されます。 社会人出身の即戦力左腕。 彼の名は高橋建。 max149キロという大型左腕でした。 ……などと書いていると、まさに期待の新人、赤い彗星、クロウディア・カルディナーレ、劇的な新星誕生みたいな感じですが、「左腕の高橋は少しでも川口の穴を埋めてくれれば」と三村監督は応急処置の使い捨てルーキーになってくれれば良いなぁ、程度の期待を寄せるコメントを出しています。 アマを見るのが好きな方々の中には「4位で高橋建がとれたのはカープとしては大きい」と評価してくれている人もいました。つまり、「下位で指名する分にはお買い得な投手」って感じですかね。いや、まぁ、球威、体格の面から言ってもドラ1の山内より将来性はある、とコメントしてた人もいましたけど。 この前の年も複数球団のドラフト候補に上がっていたのですが指名は見送られ、さらに1994年は成績が悪く、指名しようとしていたのはカープだけ。この辺、後の小林幹英も同じ感じですね。社会人経由でこういう経験を積んでいると、人柄は自然と良くなるのかな、と思わされます。 ところで『春先は高橋建の季節』とよく言われますが、やはり2000年4,5月の投球が皆の印象に残っているのだと思われます。先発に抑えにフル回転して防御率1点台(勝ち星ほとんど付かず)したあのときの。 しかし実はそれだけではありません。 最近カープファンになったという人のため、さらなるデータを提示してみましょう。 建さんのルーキーイヤー。 1995年4月終了時点での投手成績を見てみます。
なんと投手成績の第五位に載っています。他の人はみんな先発オンリーの人たちですね。ルーキー時から彼の特質は如何なく発揮されていたということが、ここから分かります。 さらに5月30日終了時点のセ・リーグ投手成績。
驚くべきことに、まだ投手成績(防御率)十傑に顔を出しております。リリーフ投手だというのに、このときまで既定投球回数をクリアしていたわけです。まぁ、谷間の先発などをやってたりもしたのですが。 リリーフに先発に、ルーキーとしては大車輪の活躍と言っても良いでしょう。 そして、一般的に名が知られた(と思われる)のが6月16日の巨人戦(東京ドーム)。手に汗を握る接戦の中リリーフとしてマウンドに上がり、威力のある直球を見せつけゼロ封。8回に味方が2点を取り逆転。2勝目が転がり込んできました。 やはり巨人戦で好投すると名が知れ渡ります。 この16日からの対巨人3連戦をカープは3タテ。 高橋建、チェコ、山内の新人三人組が勝ち投手となり、ご機嫌な三村監督は「新サンフレッチェだね」とご満悦の表情でした。 そして6月22日。 高橋建は対ヤクルト戦でミューレン、大野、古田にホームランを浴びバブルは崩壊。この時期の建さんを知らない人でも、この辺りの光景は脳裏にはっきり浮かぶに違いありません。 しかしさすがにルーキーイヤーで気力は充実していたし、それなりの扱いもしてもらっていたので、2000年のように精神崩壊には至らず、その後も貴重な中継ぎとしてチームの勝利に貢献しておりますです、はい(つまり後のことを考えず使われまくった。これが翌年……)。 この投手は間違いなく左腕エースに成長する。 そう確信したファンも多かったと思います。 そんなこんなの建さんルーキーイヤーでございました。
|